社会学「的」

2006年1月号の論座
座談会記事
社会学は進化しつづける」
がちょっと面白かった。


社会学のアカデミックな
体系論に関する話は
分からないのだけれど


現在
宮台真司の人気の煽りだったり

限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学

限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学

(北田先生、髪型変わったんだね)
ブログをはじめとする
ネット環境の整い等によって
誰もが
社会学的なるもの」
を語るようになり、
何かをその枠組みで
批評するようになり、
またそれが
語る者のアイデンティティ要素になっていたりして。


つまり、
中身のない専門知ばっかりが
自己意識を強度化する為に
ネット上を謳歌していたりして。


アカデミズムとしての社会学
危険だ、
なんてことが
書かれていた。


社会学的なるもの」を用いて語るって
まさにまさにまさに
確かに。


ちょっと前は
心理主義化社会とか言って
心理学という枠組みを
専門家だけじゃなく
誰もが簡単に使って
何事をも語ろうとするのは
危険だ
なんてことを学んだけれど。


最近
学問って危険なものなのだなと
すごく思う。


あたしは大学で
社会学を選んで
しかもその中で
また更に全体体系を学ばずに
細部のみを用いて
考えたりしている
にも関わらず
どうしても
何かの物事を
その枠組みで捉えようとする。


そういうクセがついている。


でも世の中には
そういう枠組みじゃない見方が
たくさんあって
あたしはひとつじゃなくて
それらも使ってやっていかないと
いけない。


まぁ今は
卒論を考える時期だから
それが色濃くなっている時期でも
あるとは思うけれど。。。


とにかく。
他にある枠組みの存在を
しっかり意識していないと
いけない。


できる限り
理解しようと勤めなければならない。


日々勉強なり。


なんてことを
社会人になる前として
考える。


ちなみに。


論座には
アカデミックな社会学
実社会とは遠いと批判されがちだから
大衆的なものと
うまくやっていくことが重要だ、
だから
社会学者に社会性が求められる、
的な文章が書いてあった。


社会学者に
社会性を求めるって。。。


ちょっとウケた。