いじめと天才

実家からつくばに戻ったら
ネットが繋がらなくなっていた。


いじめだと思った。


日本橋三越に、ジャン・コクトー展を見に行った。
詩を拠点に、小説、演劇、音楽、映画、絵画など
様々な芸術に身を費やしたフランス人。
寺山修二みたいな。
天才。
作品はどれも《自由》で気持ちがよかった。
天才は、自分で庭を探して、作って、
必要以上に《自由》になれる人のことだと思った。


「魚*1」という詩を書いた。
書いていると
書くつもりはなかったけれど
2ヶ月前程に腹の立った事柄が
ねりこまれていく
書くつもりはないのに。
不思議だ。


宮崎駿監督が
お酒でストレスを発散させるアニメーターは
駄目だと言っていた。
アニメに、画面に、作品に、
ぶつけられない奴は駄目なんだって。


だから、
末端に足の小指を乗せさせてもらっている程のあたしも
多分、これでいいのだ。


 *魚の眼玉をしている
 *丸くて閉じない形をしている
 *世界のように 世界のように

*1:詩学9月号掲載予定